桜雑感

今週、昼間は期首の様々なイベント準備で忙殺状態。夜まで続くそれら作業の合間をぬっての飲み会。身内の昇進・挙式祝いの宴、後輩との新年度体制情報交流会等々。帰宅後ゆっくりPCに向かう余裕が無かった。

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ブログ掲載記事の草稿も、断片的なものばかりで、取り留めない想いに苛められる日々であった。

そのような時期、今朝、通勤時に通る「山坂神社」の境内に、薄紅色と朽葉色で織成された絨毯が引きつめられていた。
早咲きの桜から振りまかれた花びらと、常緑樹が生まれ変わる証の産物「春の落ち葉」が、昨夜のうちに織り成した”自然の作品”である。

春、桜に関する想いは、お気に入りの文学者の桜に関する記述と、桜の光景に向かっていく。

"梶井基次郎"は、
『桜の樹の下には屍体が埋まっている』と書き付けた。
朧月夜の公園で、周囲を鮮やかに蔽い尽くす桜の光景は、時に鬼気迫るものがある。

"坂口安吾"は代表的作品「桜の森の満開の下」の中で
『桜の森の満開の下の秘密は誰にも今も分りません。
あるいは「孤独」というものであったかも知れません。
なぜなら、男はもはや孤独を怖れる必要がなかったのです。
彼自らが孤独自体でありました。』と書いている。

夕刻、陽気な花見の宴に参加していても、桜の花びらを通して見る夜空に、ふと我に戻る時がある。
私にとって、夜桜は、想いを内面に向かわせる誘引剤のような気がしてならない。

それに引き換え、昼間の桜は気分を高揚させ、想いは時空を駆け巡る。

太閤秀吉が秀頼、北政所、淀殿、などをはじめ従者約千三百名を引き連れて催した「醍醐の花見」。

1300年の歴史を持ち、山岳信仰で神木とされ、西行も秀吉も愛でた、「吉野の桜」。

法隆寺をはじめ中宮寺・法起寺・法輪寺などの古寺がおだやかに溶け合う「斑鳩の里」。
のどかな田園風景のそこかしこに咲き乱れる桜。

明日は休日出勤だが、早めに切り上げて「大阪城公園」で桜見物の雑踏にまぎれてみるか。

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